日本の底辺である小学生のサッカー。週末サッカーコーチが、未来のサッカー界を担う子供たちの現状を伝えますよ。
日本サッカーの底辺より
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ある1つの物語(後編)!
2005年08月18日 (木) 23:08 | 編集
その後、3人はそれぞれの道を進むことになる。
控えキーパーは、大学サッカーを。先輩はすでに小学生と中学生を指導していた。自分は、大学のサッカー部には入らず趣味の程度でサッカーを続けたあと、自分の出身小学校のコーチをやることになった。

控えキーパーは、大学サッカーではスカウティングの勉強もしていた。先輩と自分は、同じ市内ということで、小学生の市のトレセンのコーチも一緒にやっていた。そして、先輩はその後、母校の高校のコーチになったのである。

自分は主に高学年を担当し、最初に担当した6年生はチーム始まって以来の成績を収め、その後もチームを確実に強くしていき、中学生への送り続けたのである。進学する中学校では、最初に担当した6年が最上級生になるころ、県大会を優勝するほどの実力をつけていた。

さらに年月は流れ、控えキーパーが母校の高校のキーパーコーチとして戻ったのである。自分達の時にいた県内でも有数の監督が異動になってしまい、高校の先生が指導していないというかなり厳しい状況であったが、先輩と控えキーパーが二人三脚でチームの強化を図っていた。
自分はずっと小学生を教えて続けていたので、高校にはかかわりをもたなかったが、先輩と控えキーパーとは時々連絡を取って情報を交換していた。


そしてあれから8年後、ついにその日は訪れた。インターハイ予選準決勝前日。控えキーパーと電話をしていた。

「明日いよいよだな。」
「そうだな。」
「チームはどう?」
「いいよ。」
「勝てそう?」
「絶対に勝てる。分析もばっちりだから。」

試合当日。
試合が終了しだい電話をもらうことになっていた。自分は、小学校の遠征に行っていたため、直接試合を見ることができなかったからである。

そして、1本の電話。

「勝ちました。インターハイ行ってきます。」

控えキーパーは、当たり前だという口調だった。この時ほどうれしかったことはない。なぜなら、自分が最初に教えた学年のエースが自分に憧れて母校に進み、高校でも中心選手としてインターハイ出場を勝ち取ったからである。考えてみるとこの子は、小中高と各年代で歴史を作ったのだった。


もちろん、自分と控えキーパーと先輩が全てではない。他の小学校からくる生徒もいれば別の指導者に教わってくる選手もいる。だから、全てが自分達のおかげだとはまったく思っていない。かかわった人全ての勝利だと思う。

ただ、自分達3人が勝ち取れなかったものを、自分達が教えた子らがそれを勝ち取るということが非常にうれしかった。自分は間違っていなかったと。指導者として、これほどうれしいことはない。




あれから8年。自分は戻ることの出来ない場面を取り戻した気がした。
そして、さらに新しい歴史をつくるべくこれからも小学生を指導をしていく。


そう、日本サッカーの底辺より。




*この物語は、ノンフィクションです。


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